『だから猫は踊り歌う』の創作日記

だから猫は踊り歌う

先月公開した百合作品です。

ギリシャ神話にキルケーという魔女が登場するのですが、彼女をモチーフにした絵画をいつだったかTwitterで見かけました。

ライト・バーカーという画家の作品で、キルケーが人々を動物に変えていたという逸話を絵にしたものでした。

キルケーが動物にされてしまった元人間たちに囲まれている絵なのですが、そこにはメスライオンらしき姿が……。

もしかしたら年端のいかぬオスライオンの可能性もありますが、百合好きとしてはぜひともキルケーのような話を百合で……と創作意欲が刺激されたものでした。


ただ、それからお話はなかなか生まれぬまま放置。

そのまま忘れかけていましたが、もともと書こうと思っていた百合作品がなかなかまとまらず、ぼーっと飼い猫を見つめているうちにふと思い出し、猫と魔女と別の誰かの三角関係という構図で書き始めたのが今年の夏でした。


途中、母方の祖母が亡くなり、葬式がありました。

祖母は認知症で晩年は会話すら難しい状態でした。高齢でしたし、覚悟もしていました。ですが、亡くなってみればやはり非常に寂しくて、思い出すのは元気でしっかりしていた時、よく笑っていた時、会話を楽しんでいた時の祖母の姿ばかりでした。

そんな祖母とお別れして、お気に入りだった猫のぬいぐるみの写真を眺めたりしながら、考えました。

母方はこれで祖父母が両方ともいなくなってしまいましたが、ふたりの生前を知る誰かがふたりの思い出を語れば、それはあったこととしていつでもこの世に蘇ります。

遺影を見つめて祖母の元気だった時の姿、声を思い出すたびに、祖母は私の頭の中だけでも生き返るのです。

それだけに記憶というものは貴重で、誰かと共有するということは大事なことなんだとつくづく思ったのです。


その後、落ち着いてからもう一度、私は作品を書き始めました。

ただ以前と同じく、なかなかまとまらずに悩んでいました。キルケーの話を百合にしてなぞるだけでは意味がないし、面白くない。猫にするにしても、その猫が最終的にどう着地するのかを考え続けていました。

最初のイメージでは、猫は信じていた城主さまを疑ってしまう所で終わっていました。

愛を信じられなくなって、でも、自分ではどうすることもできないというホラー的な終わり方でした。

タイトルもこういう形ではなく、『城主さまの猫』や『魔女のお気に入り』など、歌や踊りを重視していないものとなっていました。

けれど、とりあえず今考えているイメージで最後まで書いてみようと思ってタイプしているうちに、猫の元人間としての尊厳を感じるようになって、その時ふと祖母の葬式で感じた記憶についての振り返りを思い出し、その二つのイメージを反映させながら整えました。

そうして出来たのがこのお話です。


投稿前の見直しで、この作品の肝が何かを見つめ直し、歌と踊り(すなわち記憶)に重点を置いたタイトルにして、今の形になりました。

大まかな話や大切にしたいテーマがきちんと決まってからも、ラスト付近をまとめるのはとくに難しかったです。

投稿した後も、気に入ってくれる人がいるかしらと色々不安になっていましたが、読んでもらえた上に楽しんで貰えたようで良かったです。


次もまた、書きたいものをうまく形にできるように頑張ります。