第21回 死生観がちょっと面白い『善と悪の双子‐ユマ族』

選民思想というと真っ先に思い出すのがユダヤ教。

けれど、代表的というだけで人間全体の思想の何処かには選民思想やそれに通ずる価値観が眠っているように感じることがあります。

あらゆる差別の元凶や正体も、もしかしたらここに眠っているのかなと感じたりもしました。

ただし、差別される側と差別する側は限定的ではないというのは、たぶん多くの人が気づいていることでしょう。

男女であれ、宗教であれ、人種であれ、自分たちこそを特別視したがる傾向というのは大なり小なりあるものだと感じます。


そんな考えを思い出したのが、今回のお話でした。

ユマ族が語る創世記のようなもので、最初は水であるという多くの部族に共通する要素を含みつつも、ココマート(善)とバコタール(悪)という双子から始まり、ココマートが自分の力だけで生み出した息子コマシュタムホを通して、自分が生み出した人間たちに教えを与えるという内容です。


印象的なのは、ココマートが最初に生み出した人間こそがユマ族であるという点でした。

この後、続けて違う部族のお話も呼んだのですが、やはり自分たちの部族こそが特別だという思想が薄っすらとあるように感じて、自分の属するコミュニティを一番だと感じるのは人間全体が持つ共通の思考傾向なのかもしれないと感じました。


ちなみにこのお話からは書籍上巻の第2部として収録されているのですが、最初の人類は語り部によって双子の兄弟である場合もあれば、男女であったり、姉妹である場合もあってまちまちだそうです。

この場合は兄弟のようですが、ひょっとするとこの辺りも最初に誰が語り始めたか、誰が思いついたのかという語り部の特徴がポイントなのかもしれません。

学生の頃に履修した民俗学系の講義では、日本の昔話が「おじいさんとおばあさんがいました~」で始まる理由を解説していました。

内容は、昔は子守を祖父母がしており、寝かしつけるために語る昔話も祖父母が語っていたため、物語導入の主人公が老夫婦だったという話ですね。

これと似たようなものが、アメリカ先住民の語り継いだ話にも含まれているのかも……なんて感じました。


自分の属性を主役にしたり、特別視する傾向は、ある種の自尊心や愛着にも繋がるのでしょうね。

ある程度はないと劣等感とかで生きるのが苦しくなっちゃうし……。


それはいいとして、次に注目したのは、このお話で語られる死についての内容です。

ココマートは死のシステムを導入することを決め、なんと自ら死ぬことで人々にそれを伝えることにしました。

ここで活躍するのがカエルなのですが、なんででしょうね。毒ガエルとかなのかな。

ともかく、ココマートは生き物たちが増え続けて大地を埋め尽くすのはよくないとして、生と死を導入したようです。


コマシュタムホは父の代わりに死について人々に解説し、恐れることはないと諭します。

彼によれば、死んだ者はもう苦しむこともなく、過去に死に分かれた者達とも再会することができるため、幸せでいられるとのことです。

と、ここまではユマ族以外でもありそうな死の概念なのですが、その後、なんやかんやあってから語られる死にまつわる教えがなかなか面白かったです。


人が死んだあと、故人が所有していた持ち物は全て壊さないといけないそうです。

理由は持ち物の霊もまた亡くなった人を追いかけてあの世に行くからとのことなのですが、さらに亡くなった人をいつまでも思い出していては気が滅入るということで、故人の名前は口にせず、共に暮らしていた家も引っ越して、新しい生活をスタートさせるべきとのこと。


極端ではありますが、死別ですごく苦しんだときの荒療治にはなりそうだなとちょっと思いました。


さて、コマシュタムホはその後、姿を消してユマ族の元を離れてしまいましたが、今でもユマ族の夢に現れ、父であるココマートの言葉を伝えるようです。

ココマートはユマ族にとって善なる存在で、対してバコタールは悪であり、地震や火山噴火はバコタールの仕業なのだとか。

妖怪のせいみたいな精神を感じてなんか好きです。

『アメリカ先住民の神話伝説』(R.アードス、A.オルティス編 松浦俊輔、西脇和子、岡崎晴美ほか訳 1997 青土社)